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真の美しさをもとめて

夏の間

研究に夢中になっていました。





レッスンで生徒達に
なにを与えたいか…を。










音楽は

天からのプレゼント






息よりも近い


母の胸にやすらぐ幼子のような


ことば 


母国語のようなもの。









安息であり

よろこびであり


いのち だと思います。







だから

頑張らなくてもいいんです。



がんばらない


って?





我力でがんばるのではなく


ゆだねる  のです。







弾く時に




響きのよい音というのが

どんな響きなのか、を知らなければ

知らないまま







また


良い音色を出す弾き方を
教わらなければ

出せないまま








まるで

ことばの ひらがな文字や

数字が散らばったような
演奏になります。





きっと


弾いている本人も


ときめく演奏かどうかは


なんとなくはわかっているから


つらいのです。



大きくなればなるほどに


音が多くなればなるほどに



刺すような音に


なんとなく慣れてしまう。









モスクワ音楽院を出られた
雅子先生のレッスンを初めて受けた日の驚きを思い出します。






息をするように

鍵盤をさわるだけで


おとが鳴る。






その音色の美しさは



この世で味わう種類ではないような
幸せに満たされ
驚きました。

 









身体のチカラをぬく。







でも響く音を出すためには


全身抜き切るのではない。









身体の重さを指先に集めて のせる。









その細かいメカニズムは




実に音楽的で

実に繊細で


霊的な感覚をあたえてくれました。










こんな弾き方があったんだ、



腰が抜けた日を

昨日のことのように思いだすのです。







「鳴らなくてもいいんです。

   むしろ鳴らないなら
    鳴らない感覚を
     知るだけでいいんです」とおっしゃってくださったのは、



自分の身体をのせて


ぽおん と響く音を出せる

その瞬間を

ゆっくり見守り

待ってくださった愛でした。




いま


そう…


この夏より










深まりはじめてきています。










音楽を

ピアノを

習いごとを どう捉えるかで

ひとりひとりのスタンスは変わるかもしれませんが、




私は

ピアノ 

音楽は


ひとりひとりに
神から与えられている

完全なる安息だと思っています。







そう捉えることを選ぶと

完全なる安息の音の響きのなかに

合一したい、という思いが

溢れ湧いてきます。






そして


合一こそが




ほんとうに美しく

力強く

音楽的なのではないか、と
思うようになりました。





難しいお話しになりましたね!



けれども



レッスンでは

いたって

シンプルです。




ただ


あなたは素晴らしい❣️


あなたは一流ですよ❣️


すべてのひとは

オリジナル!一流なのですから。



あなたは
生涯


愛されて生きる子よ❣️ 


そう 伝えています❣️





その
ひとりひとりの素晴らしさを




レッスンにのせて伝わるだけなのです。












自由であれるように





身体がゆるまり



思考がリラックスし



だから


無駄な力が抜けて


演奏に響きがのる。






それが

自動的に再現されるまでに深められていく。



しまいには



音の愛だけにあれるように

工夫して指導続けること。









これが


私がたどり着いた

レッスンです。