月に1度は
母の家に行くと決めている。
私のパンを大好きだと言う母に
パンを届けてあげたいから。
目や膝や手が痛み
自らの身体を労りながら
刺繍をたのしんでいる母の手を
マッサージしてあげたいから。
一緒に過ごしたい
一緒にごはんを食べたいからだ。
脳科学と心理学を兼ね備えた
ノート術の講師になり
昨年の今頃と
見え方が変わった。
「脳」の仕組みを知ることで
ひと が
どれほど愛されて創られているか
美しく気高くあれるか
創り主は
ひとにどれほどの可能性を与えたのか、
に驚いている。
と同時に
願いは 脳の仕組みで叶うこともわかってきたゆえに
3ヶ月経ち
自分の在り方に対して
時間をとって
祈るような時間を必要だと感じて
意識しはじめた。
そんな最中に
胸にどかっと入ってきた言葉
いのち言葉
指針になる言葉…
それは
肉の思いは死であり
霊の思いはいのちと平安である
願いが叶うことを越えて
それを通しての
いちばんの満たし
それは
「人知を越える平安だ」
だと思う。
そして
「奇跡」を知れる感動
それを与えられる
創られた創始の愛の「在る」
と
深い親密な交わりだ、
と思うのだ。
こんなに母の家を載せて
きっと母が見たら
「ちょっと〜恥ずかしいわあ。
やめてちょうだい💦」
と言うだろう。
このブログは
母には内緒にしようと思う。
おとぴあの
まえだやえこ
まえだやえこ