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ピアノはいのちの輝きに出会う時間となる

今は日曜日の夜。

土曜日は調整休でしたので珍しく3連休となっています。
休みであってもピアノに想いがあります。

また、休みであっても、生徒さんやお母様から近況や相談のラインをいただきます。

本当におひとりおひとりが尊いです。
水曜日の生徒さんのお母様からは長い長いラインをいただきました。

悲しいことが起こった直後のレッスンだったそうでした。

帰り際、送迎車を教室の軒下にぴったり着けて、「弥生子先生の音を聴きたい」と思われた。

しかし、次の子が来ました。

と…次の子の外に漏れて聴こえる音色はしずかにその方に響いたそうです。

癒されていかれたそうです。

次の子にお礼を伝えて欲しい、と綴られていました。
私たちは日常に想定外の悲しみを抱えることがあります。

痛みを感じることもあるでしょう。

しかし音のなかに浸るときに、その感情を自然体で受けいれていけてしまう力が湧いていることに気づきます。

そのときには、見る視点が変えられる事が多い。

これが音の世界のもつ「神秘」。
常にその優しさと美しさを持って、触れてくれるのです。


この教室の生徒さんは、本当に自由で穏やかな方が多いです。

「クリスマスワクワク動画集」の企画に、おとなの方もこどもも、穏やかに楽しみ弾いています。

4月4日には発表会を予定していますが、その為の曲を練習始めていた4年生はとつぜん、レッスンでこう言いました。

「先生、曲変える!もっと弾きたい曲があらわれたから!

ハイドンのソナタにする。

ファジルサイの演奏、めちゃ素敵だから、今聴いてみて!」

すぐに一緒に聴きました。
「いいね!いいね!素敵だね」

「でしょ。もう結構弾いてきたんだよね」

「ほんと?弾いてみて!」

「ここかわいいんだよね」
音楽はいのちの糧。
いつも内側から湧いている泉。

そのことに気づけていなければ
ピアノはただの運動にしか過ぎなくなります。

なんともったいないことでしょう。

ピアノを習っていたとしても、「いのちのいのちである音の時間」を持てないとしたならば、時間はただのそのいっときを満たすだけの行為。

ピアノ時間が「習っているから弾く」という、おけいこではなく、

自分の内側の輝きに気づけるよろこび溢れる時間となりますように指導し続けます。

さいたま市緑区/浦和区ピアノ教室
まえだやえこ