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生きているということは意思表示ができるということ

今日は久しぶりにからりと晴れました。
彼が私を先導します。

コロナをきっかけに価値観の洗い直しをして、迷いがきえてしまいました。

私たちは、漠然と「多い方が良い」「優れなくてはいけない」「たくさん知った方が良い」と思い込んできている。

いちばん大切なものは なんでしょうか。



この半年をとおしてレッスンへの向かい方もおそらく随分変わってきたと思います。


生徒さんがピアノを習いたい理由。
お母さまがピアノを習わせたい理由。

それは、「ピアノが弾けたらこの子はどんなに幸せだろうか。」という原点。

ここに揺らがぬ理由ではないでしょうか。

するとすべきことがはっきりしてくるのです。



基礎力をつけながら、ちいさなチャレンジを積み重ね、自分に与えられている曲を自由に素敵に表現していくこと、のみ!

そして、何より大切だと思うこと。


それは↓
自分の弾くピアノが 誰かの力になる、と知っていくこと。

ではないでしょうか。
具体的な誰か はわかりません。
しかし、世界には様々な悲しみがあります。
その対象に
癒しが流れることを意識して弾くならば、それは絶大なよろこびとなると知るでしょう。
「ひとり」の力は小さいでしょうか。

いえ。

「ひとり」の中に宿された「愛」は
声をあげなくとも 世界をかえていくしずかな真実の力なのです。
ピアノを弾く意味と価値。

それは言い換えると
「生徒さんが弾くことを通して自らの中に愛が宿っていた事実を見出していくこと」にある、と私は思うのです。

木曜日、

月に2回通われる、75歳すぎの紳士生徒さんがお帰りになる際に私はこうお声がけしました。

「どうぞ、お元気でいてください。また次回お待ちしています。」

次回のレッスンまでしばらく空きがあるので言葉に情感がこもっていたのでしょうか。

その紳士生徒さんはおっしゃいました。

「先生、生きているとはどういうことでしょうか。


生きているということは、意思表示ができるということです。」。
その夜からその言葉がしずかに響いています。


意思表示とは
「意思を持っていること」と、
「その意思を自ら認め」

「いい悪いという評価をせず、
ありのままのその意思を
自らで抱きしめていける力」
が必要だろう、と
気づきました。

そのためには

自分の感覚
自分の本音
自分の内側の願い

を知る力が必要です。


そうできるために、
大人はこどもに対して、
それを感じる


「ひとりだけの静謐」

を確保してあげる工夫が必要ではないでしょうか。

時間だけではなく、こどもが ひとりで感じる力がとても大切だ、と認識する力も大人は持つべきではないでしょうか。

それを「ピアノ」に向き合う時間は与えてくれると思うのです。
秋の夕暮れは はやいです。

どっぷりと陽が暮れ、空は茜色にかがやいていました。2回目のお洗濯は乾かぬまま、室内に干しました。

それでもおひさまに照らされて過ごせた1日に感謝で満たされています。

今週はどんな日々となるでしょうか。
どうぞお元気でお過ごしください。

感謝を込めて。
さいたま市浦和区/緑区ピアノ教室
まえだやえこ
追記

このパンはパン作りプロ級の腕を持つ 大人の生徒さんが作ってきてくださった 「フリュイ」。

小麦粉と塩とイースト、モルトパウダーと水。たったこれだけで作られますが、低温で長い時間発酵させなくてはならないのです。

私が「できる限りの動物搾取をしない生活」に切り替えたことをInstagramでお知りになり、そのことを意識してくださり、「弥生子先生に召し上がっていただけるパンなので上手くなりたいです」との言葉の花束を添えて くださった「いのちの糧」。

この愛から 秋の空をも越える優しさが私の心に流れこみました。

気泡のもっちり、とクラム(白い部分)の味わいが絶妙で、最高なお味!

このような糧にも ささえられ、私は今日もピアノに向かうのです。


私から「在るもの」に響きが流れ注がれることを信じて。