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肩書きのために?内申書のために?ピアノは自分を大きく見せる道具ではない!

みなさまいかがお過ごしでしょうか。
関東はゲリラ豪雨が続き、驚きましたね。

コロナの流行のはじまりの冬、世界の状況に驚きと恐れを感じ、自分の内部に平和を保つことに必死でしたが、今…この世界の在り方は「私自身の中の何かも起因している」と感じるようになってきました。

それは、梅雨のある日「幻想即興曲」という曲を弾くときに閃いたことからでした。

この曲を私は内心「素晴らしい演奏と思われたい」と思いながら弾いていたこともあったことに気づかされ、心が一瞬にして まっ黒くなりました。曲には、そんな「弾く私の欲」がついてしまっている、と感じました。

弾きながら涙が溢れてきてなりませんでした。

その想いは次第に曲へのお詫びとなっていました。


「私の欲ではなく、曲本来の純粋性でありますように。弾く私が在らせてもらえますように。」

すると私の内側のどこかにあった鬱積が解けて消えた気がしました。

そのような日々のなかで気づいてきたのです。



その気づきから、私はかわりました。


朝はうれしいのです。

 

トイレや玄関、洗面所、キッチン、すべてホコリを取り、水拭きをする。玄関はたたきも水拭きします。


テーブルもピアノの部屋のチェアも水拭きします。

すべてを ゼロに還す想いになることがうれしくて 習慣になってきたのです。

レッスンがうれしいです。

生徒さんが、純粋に曲に向き合い、曲に満ちている素晴らしさを受け取り、最大限に表現できるように導ける者となりたいからです。

欲を手放すと、ただ弾くことだけに目的を感じられます。

それこそが、心底から湧いてくる「弾くよろこび」。
8/15。終戦記念日。
わたしの父は母と幼い兄妹3人を東京大空襲で失いました。


今私は感じています。
「戦争」は、ひとりひとりの内側にもあると。

その内なる戦いに気づき、癒され、手放していくことこそが、平和へとつながっていくのだと。


さいたま市緑区/浦和区ピアノ教室
おとぴあの まえだやえこ