どこに意識をあわせるか

おはようございます。お元気でいらっしゃいますか。今朝はしとしと雨が降っています。雨のおと の心地よさに 眠りは深められ、目覚めました。

おとなの生徒さんのレッスンから

今日は、ベートヴェンソナタや、シューマンソナタ、リストの作品など、テクニック的にも音楽表現的にも奥が深い作品に向きあっている生徒さん達のレッスンでの気づきをお話させてください。

「むずかしい」という思いに意識を留めないで!

つい、難しいところがスムーズにできない時に、「ここは難しくて!」と言ってしまいそうになります。
そうですよね。
そうですよね。
でも、そう思うことに浸りすぎたり、
口に出してしまうと、
本質からどんどん外れていってしまいます。




本質って?



リストやベートヴェンやショパンは
弾く人が困難なテクニックをクリヤしていく為に曲を書いたでしょうか?
ノー!違いますよね!



では、作曲家はなぜ「その曲」を書いたのでしょうか。
それは書かざるを得ない、内面的な発露があったからではないでしょうか。

そのメロディーの源泉である性質が作曲家のなかに うごめいていた。
そのうごめいている性質を探っていく過程にメロディーが生み出されていったのではないでしょうか。


困難な複雑なパッセージは?
その「複雑さ」は作曲家の中の「複雑さ」の現れではないでしょうか。


どんな複雑なうごめきが作曲家の内側で起こっていたのだろう
このように 謎ときのように 探りながら
弾いていくのです。
丁寧に丁寧に。

すると、次第にその箇所は「作曲家」の内面と「私」の内面との対話になっていきます。
その過程を進めていくならば、そこに「難しい」とか「レベル」とか「弾けない、弾ける」とかの発想はなくなっていきます。


作曲家の内発的な ほとばしりを知りたい、と思い続け、対話し続けた過程が「弾く」ということ


大切なことは これだけ、と言っても過言ではない、と思います。

音楽を聴く人の価値観や、世の中の曲への評価や価値観


ここに基準値を合わせると、自分と他者の比較の領域にはまり込んでしまうでしょう。

そんなエネルギーと時間は、自らに与えられた「新鮮な感性」の無駄づかいだと思うのです。

なぜなら、「弾く」ことは
人のためにしているのではないから。


この曲のなかに どれほどの美しさが
どれほどの慰めが
どれほどの 「ひと」の細密さが満ちているのか。
それを知り続け、味わい続け、
曲のなかで過ごし続けることこそが

「ピアノを弾く」恵みだから!

‼️

新しい日というキャンパスに


今7:50です。今日は1日 雨が降るのでしょう。
「雨」が降る意味も 自然界の創造された
「必然」なのでしょう。

争わず(あらがわず)、
創造の源のほんとうの願いを知る。

そのことを知性理性を超えて知覚する
「しずけさ」を
今日は持ちたい、と思います。

庭のないところに風揺れるハンギングを

昨日、新しい作品を携え、母が訪れました。
白い壁に映えるハンギングバスケット。

階段をのぼる瞬間瞬間に花の香りを感じます。

そして 自室のリビングの一角のアトリエで

その「風薫るハンギング」を描き続け、紡いで過ごした母を想うのです。
今日も新しい1日がはじまりました。
今日というキャンパスに何を描きましょうか。

そのキャンパスに映像を映し出す「フィルム」を生み出すのは「自分の意識」です。

美しい、しあわせな絵を描きたいとおもいませんか。


いつもありがとうございます。
どうか、今日もお元気でいてくださいね。
お幸せでいてくださいね。

沢山の感謝を込めて。
さいたま市緑区/浦和区ピアノ教室
まえだやえこ