おはようございます。さいたま市緑区ピアノ教室のまえだやえこです。お元気でいらっしゃいますか。昨日は夏のように暑い日曜日でしたが皆さまのところはいかがでしたか。
今日は今の「シンプルなレッスン」に至るまでの経緯をおはなし させてください。
いちばん大切なものが何かがわからなかった
忙しいのが美徳。
たくさん持っている方がいい。
遅いより速い方が良い。
本当にそうなのかな?
その価値観は本当に大切かな?と 今は俯瞰して見るようになりました。
そうなったのには たくさんの時間と苦しみを要しました。
何が大切か。その大切にしたいものを大切にする為に、たくさんを手放してきました。
最小限でよかった。今はこころからそう思います。
手放し 減らした結果、シンプルになりました。すると大切なものに 丁寧に関わるゆとりがうまれました。
第1にするものを大切にするために、優先順位が生まれました。
結果、必要な情報は何か を 選ぶ力が与えられてきて、脳の使い方も変わってきました。
大切にしたいことにゆとりをもって向き合う時に、私のなかに うごめく さまざまな心の様に気づくようにもなってきました。
それをないものとせず、しっかり味わい、それが どこから生まれてきたものなのか、に意識を向けることもできるようになってきました。
たとえば、「見栄」からだったり「虚栄心」からだったり、また「闘争心」だったり から 生まれるもの。その場合、大概 そこから行うことは脳を疲労させることもわかってきました。
しかも、気づかずにその位置に立ち指導する時、そんな香りが出てしまうということも感じるようになりました。
20代〜30代にかけて
音楽大学を出て、東京音大講師の男性の先生の経営される大教室で 私は弾ける先生、と大事にして頂き、沢山の生徒さんを担当させて頂きました。また受験に関する指導を何人も任してくださいましたし、室長は私が演奏を続けることを奨励してくださり、演奏する時は忙しい合間に聴きにくださったりもしました。
しかし、私には まだまだ、としか思えない自信のなさに加え、忙しすぎました。
また、私自身の価値観が定まっていなかった為に、コンクールを受ける子がどんどん出てくると、絶対に予選くらいは通したい、と思い(そのこと自体は悪くないのですが) ストイックな感覚にとりつかれたようになる自分が辛かった。
焦りと不安と 疲れでぐちゃぐちゃでした。
ねばならない、でしている努力は 続かない。やがて破綻しました。
30代で 倒れました。
こころと身体が一致せず、動けなくなりました。
今 思い出しても、あの時の苦しみは 想像を絶します。
書きながら 思い出すときついです。(笑)
もともと幼少の頃から、巨匠と言われる演奏家のレコードに 浸っては「この演奏には神さまがいる」と「音楽は愛そのもの」を知覚していた私でしたが、現実はコインの裏表のように感じていました。愛の裏には 評価や いらぬ競争や見栄がひしめきあい、私はうまく生きることが出来ませんでした。
演奏面も、私なんて とてもダメ。まだまだ足りない、と、いつも上ばかり見て比較し、すべきことばかりに心が向き、通勤電車のなかでも勉強を強いていました。
今わかるのですが、もっとも危険だったこは、セルフイメージが極度に低く、ありのままの自分を見ることも受け入れることも全くできなかったことにありました。
本当にバランスを失ってしまいました。
でも、今、その時代に完全に壊れてしまった出来事は 素晴らしい恵みだった、と思っています。
あれから10年以上になりますが、日毎日毎に新鮮な息吹を受け、完全に新しくなったからです。
崩壊からの過程はゆっくり丁寧なものでしたが、新しくされるための 過程だったのです。
それまでの価値観をひとつずつ 手のひらにのせるように対話し、自分を苦しめるものや、生徒さんに 永きに渡り 残ってほしいものではない いっときの見栄などから出る指導は 手から解き放ってきました。
今思います。
大切なことは 実にシンプルだと。
生徒さんが音楽から愛されていることを知り、その愛を受け取っていけること。
生徒さんご自身が「音楽」と一対一で 対話できる力を育てること。
エゴは 人を苦しめます。
しかし、解放された 愛は ひとを自由にさせ、希望を与えます。
身をもって体験してきて わかるのです。
10年以上前、その愛に出逢い、支えられてわたしは変えられてきました。
その人は わたしのありのままの鏡になってくださいました。その鏡には見たくない汚さも 欲も、弱さも 強がりも、また美しさも希望も、映しだされました。しかし、批判したり諭したりされたことは一度もありません。いつも微笑みと信頼を持って 優しさで それらを包み、あたたためるような関わりをし続けてくださいました。
それだけではなく、すでに私の中にあったビジョンを ともに見、信じて、倒れかけているような私に 踏み出す力があることを知らせ続けてくれました。
経営者であり 素晴らしいカウンセラー。
今は、年齢が離れた親友のように関わってくださっています。
わたしの生涯をかけて したいこと
わたしの軸は 20代の前から ぶれてはいません。
しかし大きく壊れたしまったことをとおして、その軸にこびりついた不必要なものものが一掃されてきました。
そのプロセスは、まるで自分の生き血が失われていくような怖さを感じることもありました。
支えがあったからこそ 踏ん張れました。
結果、いま、大切なものだけが 残りました。
ひとり ひとりのなかに 音はやどり、その音は 全き個人的に 交わりつづける。
音楽はそのことを願っている。
そのことを具体的に弾くことを通して体験できる。それがレッスン。
奏法…テクニックや向きあいかたは そのことを第一にするときに加えて与えられる。
その方に会いに行った7月の山形旅。
その方の運転で駆け巡った 東北の豊かな自然は どこまでも ひろやかでした。
涙が溢れる なぐさめの 日でした。
今、わたしは覚めぬ夢を見て生きています。
生徒さんひとりひとりが 自分だけの輝きをよろこび、自らのなかから生み出される音色に潤されて 生涯を 力強く 歩まれることを。
力強いようで 実は 静けさが鍵
その為に しずまり わたし自身が音楽に浸ります。音に日々向き合います。
そして 集中して 曲に向き合えるレッスン内容。安心して たっぷり音を聴ける静かな環境をつくり、お迎えします。
今日は重たい文章になってしまいましたね!
お読みくださりありがとうございました。
最後に いつも支えられている言葉…昨日のブログで引用しました言葉を再度 記して今日は終わりに致します。
あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ
〜先人の知恵の言葉
今日も お幸せでいてください。
今日しか 味わえない 一日でありますように。
たくさんの感謝を込めて。
さいたま市緑区/浦和区ピアノ教室
まえだやえこ