小さな振動。
たとえば 早朝のしずかなグランドの中央にガラスのコップを置く。
空っぽなコップを。
そのコップは まだ まどろむ 世を 感じている。ちいさな 振動をもキャッチする。
わたしたちは そのコップのような繊細さを与えられている。
ピアノという楽器の振動を感じ 共鳴しあい、指を使い音を紡ぎ出す。
弾くことは 振動すること。身体すべてに響かされること。その振動を鍵盤にのせ、さらにピアノから生み出される音と響きあうこと。
今月からスタートの3歳のおちびちゃんのレッスンは エキサイティングだ。
静かな 可愛いお嬢ちゃんは身体全体で表現したいというエネルギーに満ち溢れている。
レッスンの最終5分に「自由に弾いていいよ」と伝えた。
もじゃもじゃ パロパロ、キロキコ
じっと身体じゅうを耳にして 聴き 弾く。
とめなければ 10分でも弾くだろう。
わたしもお母様も ともに 彼女の音のなかにいた。
3分以上 黙って 一緒にいた。
ああ、この子が すでに知っている世界を 共感したい。
この子が見ているところを 共に見たい。
ふと、「音楽の願いはなんですか。」
と 心の深みに問うてみた。
しばらくしてやわらかな想いが 響いてきた。
「ともに よろこび、ともに 知り、ともに遊べ」と。
そうだ。そうだ。
よろこびに響きあうレッスンを 音楽はきっと導いていくだろう。
その願いを ガラスのコップのような繊細さでキャッチできる先生でありたい。