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自由であること


「自由を 感謝している」
なによりも日常がすき。
ありふれたその日常にこそ、深いよろこびがある。

思い起こせば つい数年前まで、「忙しくすることが美徳」「スピード感がある事が素晴らしいこと。」「少ないより多い方がいい」などに 価値と意味を置くべきだと思っていた。いや、 無意識に そうとしか、湧いてこなかった。そうあれない自分と戦っていた。

しかし今は違う。
ひとり  音に向き合ってきた中で はっきりわかった。わたしの深みが 本当にほしかったもの。それは「忙しい」ではなく「余白」。

「スピード感」ではなく「自然な流れ」。

また、「多い」ではなく「多くとか少なくとか考えることを手放す。」

ここに行きついて  ぶれない 「平安」が与えられた。
表面的な願いはその時々で湧いてくるけれども、本当に望んでいたことはひとつだけだった。

「うた とひとつでありたい。」

こころの深みに湧きつづける「うた」。
響きつづく「うた」。
この 「永遠にわたしのなかに響いている うた」と  いつも ひとつでありたい。

どんなときも。
なにをしていても。
誰といても。
ひとりでいても。
昨日 中3の生徒さんのレッスン。
美しく 滑らかに弾き紡ぐ その「うた」に感動した。こころときめかされた。
 
家族みんなが過ごすリビングにあるピアノに「ひとり」向かう姿が見える。誰に言われるでもなく 「自らの意志」で 音に向き合ってきたことが よくわかった。

「自由」であること。
自らに向き合い、自らのよろこびに導かれ 「自らの深みとひとつ」となる。

ひとりのいのちが 静かに輝くとき、台風や 地震をも癒す。やわらぎと安らぎとなる。これは妄想ではないように感じている。

それが創られたすべてのものへの それぞれに託された願いではないだろうか。