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春のやさしさの下で



鷲宮
という地。
1時間以上かけて
浦和まで
電車とバスを使い
レッスンに通ってくださっていた
70代中盤の生徒さん。


その生徒さんとの
最後の日となりました。


美容室を経営され、
若い時は
お子様の運動会にも
見に行くことが
できなかったそうです。





60を過ぎた頃、

したかったことを思い切ってしたい!
はじめられたピアノでした。

お孫さん2人の先生だった私の
浦和の自宅まで
通い続けてくださった10数年でした。



いつか
この日が来るかもしれない、と 
これまで以上に
1回1回
一期一会でお迎えした昨年でした。




今なお、美容室をされ、
ご主人の介護をされ、
また、
親戚や家族の御用も多い方です。


毎日てんてこ舞い。



その中で

「ピアノだけは 何がなんでも弾くの。
   隙間を見つけては弾きます。」



そうおっしゃる姿に
私は
何度
尊いと思ったでしょう。






もてなす側に  いつもいらっしゃる
生徒さん。

ご挨拶に来られる
昨日早朝
目覚めのなかで、


私はどうお迎えしたら
最後の 時を
よろこんで頂けるだろう、

思いました。




あっそうだ!
朝食をご馳走しよう!



生徒さんは
毎朝暗いうちに起床し、

ご実家も
ご兄弟も娘さんも
お寺さん、という 生徒さん。
お仏壇に手を合わせ
お経を唱えられ


それから
家事、
ご主人の介護と
おひるごはんの準備をされ、

バスに乗り、電車に乗り、
またバスで
レッスンにいらっしゃっていました。


いつも
朝ごはんは
ゆっくりは
召し上がっていらっしゃらない筈。








小さなお庭が見える位置に
お座り頂いて

くつろいでくださったら。






最後なのに
最後まで
手づくりのお新香や
美味しいものを
たくさん持ってきてくださり、

なんだか
さみしさと 懐かしさと
あたたかさと  せつなさが
まじりあい、
言葉になりませんでした。






先生と生徒でありながら
ピアノ以外のところでは

生徒さんから
「生き方」
「物事に取り組む姿勢」
などを  
学ばせて頂いてきた10数年でした。






「ピアノがあるから
    私頑張れるのよ。
    先生 よろしくお願いしますね。」


「来週も来ちゃおうかしら。
   今、身につけておいた方が
   いいですよね。」



「うれしいんです。
    弾けるようになったわ。
    努力すればできるんですね。
    先生、ありがとうございます。
    頑張りますね。」




「あんなに練習したのに
   緊張して 上手くいかなかったことが
   悔しくて、
   発表会から帰って
   すぐに練習しました。
   できるのにね。」







食卓で
近況を話されることに
耳を傾けながら



遠くで
いままでの お言葉も
きこえるようでした。






ピアノを愛し
練習を愛し
レッスンに期待され
熱心に受けて、


よろこんで
また頑張ります!と
意気込みともに帰っていかれた
年月。





「先生、わたし今日も弾いてきたのよ。
   30分でも弾くと違うでしょう。
   これからも
   教わったことを弾いていきます。」


そうおっしゃって
はっとしました。



出逢いは一期一会です。


出逢いがあれば別れがあります。

さみしさがありますが
でも
私は 
こころの深みでは
平安だと感じました。




なぜなのか
不思議でした。


そして しばらくして
この感覚かもしれない、と
気づいたことがありました。



それは
拙いながらも

生徒さんに、
ひとりで
音に向き合うよろこびを
伝え続けてこられた
という
その確かさがあるから

きっと
そうなのかしら、
と思ったのでした。









人との関係は
永遠ではありません。


しかし
自らの中に湧き続ける
音の世界は
その方の生涯
ずっとともにあり、
永続します。


その音楽の世界を
お伝えでき
ピアノに向き合う過程と
練習の向き合い方と
そのよろこびを、

ご自分のものと
なさってくださったのでしたら

それが
なによりの
音楽の願いであり
教室の願いなのです。




さみしさは
音のやさしさに委ねようと思います。





ありがとうございました。




そして
これからも

それぞれピアノに向き合うところで
時と場所を超えて
響きあえることに

こころから
感謝します。





お元気でおしあわせでいてください。


さいたま市浦和区ピアノ教室
前田弥生子
お陰様で、
教室にはたくさんの生徒さんが
通ってくださっていますが
あと数人、お受けすることができます。