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ただ 天真爛漫に



生徒さん達は
それぞれに
音に向き合っている。

小さい子も
小学生も
おとなも。





どうして
練習するようになったのか。





ふと
夜の生徒さんが終わり
自分の日課ピアノの手をとめて
思い巡らした。


目標は
音に向き合うだけ。


右脳が豊かに発達する事や、
集中する力が高まる為に
偏差値があがる…

などは
加えて 与えられるかもしれないが、
それが一番ではない。


上手くなるとか 評価される、なども
加えて与えられるもの。

効果のために するのではなく、
ただ 弾く。

弾くために弾く。


静かななかで
語り過ぎず
語られ過ぎず
テンション高過ぎず。



音に向き合い
響きあい

何が素敵な演奏だろう、と
自らが自らに聴ける
そのゆとりが、

その人を透明に
純粋にし、

本当のよろこびを
飢え渇き求め
ますます
弾くことの  よろこびを知っていく。





レッスンは
たのしい。
ただ
音の世界に浸れるから。
楽譜の中の不思議に気づけるから。



おチビちゃんたちにも

発表会などで
「しずかに聴きましょう」
など
一言も言わないのに、
みんな 客席に ゆったり座り
演奏のなかに いる。

聴き入っているのか

もしかしたら、
自分の世界に 
浸っているのかもしれない。
眠っているかもしれない。

いずれにしても
会場が
しずかで
やさしい雰囲気であることに
いつも 驚き
感謝が湧いてくる。


それは、
小さい子も

レッスンで おうちで、

自分の静けさの中
音と共に過ごす 心地よさを
味わって 知っているからではないか、
と、ふと 思った。



音楽の前に
プロもアマもない。


響きの中に いかされていることに
天真爛漫に喜ぶ。






私より
年下の友人が天に還って
3年目を迎えた。
  




自宅療養で、
その横になる友の足をさすり、
また
手をマッサージした。


そんな日々
彼女が
よく言っていた言葉がある。

「ほっとするな。
   平安と安らぎが1番うれしい。」



ともにいて
 
うとうとする友の傍ら
わたしには
響きがあった。

わたしと彼女を包む響きが。

弾いていなくても
響きがある。

音楽が鳴っていなくても
響きがある。


不思議だった。




音楽は

共感と慰め

慈愛とよろこび

希望

励ましと 勇気

あらゆる めぐみが
満ち満ちている。


その音楽と一致することは

何にもましての
「平安と安らぎ」






天に還った友と
食卓をしばしば共にした。


治療の為に
味覚障害があったが、
ケーキも 一緒に焼いた。


食卓を見ているだけで
うれしい、と。

いっしょに過ごすのが
うれしい、と。

作るために 作った。
作りたいから作る彼女と
ともにいた。

何を話すでもなく
しあわせだね、と
微笑みあった。

病を忘れているようにみえる
やすらぐ 美しい 表情を
時折思い出す。

なんて 美しかっただろう。

お化粧もうまくて
髪もうまく巻くことの出来る
おしゃれな彼女の、
何もかざらず
くわえない 素の美しさに
こころが 清められるようだった。



と、


天から そっと
聞こえた気がした。



「やえこさん
    こころの安らぎは
    いつも わたしと共にあったよ。」と。




音の世界は
食卓のように
団らんのように

やすらぎ

いのちの糧を

永遠に続く
平安を

残してくれる。