おチビちゃんの手。
こんなに先生の手と大きさが違う。
1番のお指が「ド」でないこと。
1番が「レ」を弾く。
おとなは 様々な経験から
これもあり!と受け入れられる。
でも
おチビちゃんには
「あれ?」
と、不思議に思っちゃう。
それを言葉にしてあげて
話してあげるだけで、
「そういうことなんだ。うん。わかった」
と、
表情が和らぐ。
ああ、よかった!
ほっとしたお顔で笑ってる。
わたしの手をとって、
チュ、とする幼な子。
自分の位置がわかれば、
ひとはエネルギーが湧いてくる。
午前中にプティと歩いた。
落ち葉 散らばる公園で出逢った
ひとりの老紳士様。
コーヒーの芳ばしい香りに
わたしの足がとまった。
「よい香りですね。」
紳士様は
柔らかい表情になった。
「近頃、喫茶店が減ってね。
しかし100円コーヒーは
なかなかのものですよ。」
美しいことばの響きだな、と思った。
「おじさんの言葉、綺麗ですね。」
「いえ、そんなこと ありませんよ。
樹々の移ろいの中での一服は
いいもんです。」。
再び歩き始めながら、
わたしの心は
言葉の余韻に満たされていた。
今、綴りながら わかってきた。
今、何をしているのか、
どう感じているのか、
を知りながら
「今」を味わっている人には、
ひとにも 知らずのうちに
ゆとりと幸福のお裾分けを
しているのかもしれない。
その「ゆとり」は、
人生の「豊かさ」であり
「美しさ」だ、と思った。
そして、そのことを少しだけでも
言葉に出来て
お伝えしてよかった、と思った。
老紳士様の柔らかい表情を
思い出しながら。
夏だったと思う。
小5の女の子が、お母さんと
ワクワク、息を弾ませ話してくれた。
「先生、弾きたい曲、見つかりました。
ラ、カンパネラ という曲です!」
わたしは目が飛び出すのを感じながら
しかし、身体中でよろこんだ!
「すばらしいね!すばらしいね!
かならず弾こうね。
ちょっと聴いてくれる?」。
わたしは
ラ カンパネラを
最初から最後まで弾いた。
親子は
大拍手とともに、たまげていた。
そうだ。
難曲中の難曲なのだ!
でも、わたしは嬉しかった。
弾きたい曲があるって
嬉しいこと!
そして成長することだから。
その時から3ヶ月が近く経った。
その子は
毎日弾いている。
エリーゼの為に や、
小犬のワルツなど
たくさんの名曲を
自分の身体の一部となって弾いている。
しかし、
「チェルニー30番練習曲」
には、身があまり入っていないな、
と気づいた。
これも頑張ってやろう!と
数回お話したが、
気持ちが乗らないのかな。
と、ふと、
わたしは、
今日の日中の老紳士との会話が
思い出されてきた。
その瞬間、
「遠くを見る目」
という言葉が、
こころの底から湧いてきた。
すると、
わたしの心は動き、語りはじめたのだ。
「ねえ、
先生が あなたに 弾いてほしい、
と出している曲や練習曲は
ただ単に、
あなたが習ってるから弾いて!
と、簡単に言っているんじゃないのよ。
あなたは
ラ カンパネラを弾きたいよね。
いつか弾きたいよね。
そこに行き着く途中に
先週決めたドビュッシーの
「グラドゥス、アド、パルナッスム博士」
があり、
その次には、幻想即興曲かな。
そうやって、レベルを上げていくの。
テクニック向上と
表現力の豊かさが育っていきたいの。
テクニック向上のためには
チェルニーは最適。
だからやってほしいの。
先生は、
その場限りで言ってるんじゃない。
先々の、立派に曲を弾きこなしている
あなたを先取りして見て、
その必要から言っているの。
そのことを忘れないでね。」。
そう言った上で、
ノートにも同じ内容を簡潔に書いた。
音に少し 意思が入ってきた。
わたしは思った。
「今のように
言葉で伝えることは大切なんだ!」と。
そうか!
そうか!
これから
ひとりひとりに伝えていこう!と。
今の楽しみだけではなく、
少し先の、
1年先の、
数年先の
その時の
「あなた」の素晴らしさが
もう見えている。
そのことも楽しみで、
先生はあなたに関わっているのだよ!と。
だから
美しい先々の自分の出発点である
「今」
に、
大きな価値、と 希望を持ってね!と。
みな
あっという間に 大きくなる。
しかし、
「今」「今」「今」の連続が、
その子その子にとって
意味と価値を感じることができるならば、
どんなに心地よいことだろう。
そのために、
わたしが「言葉」を使い、
今の素敵、と、
また、先々の素敵を見せてあげよう。
本人の意思を
豊かなものにするために。
なぜなら
彼ら、彼女たちの
限りのある時間、
人生の主人公は
彼ら、彼女たちのものだから!