明日は
わたしの生涯のなかで
はじめて体験した質の悲しみの日。
父が天に召された前の日。
13年前の今日の11時ごろ。
わたしは
ショパンのノクターン13番を弾いていた。
確か、
「戦場のピアニスト」という映画が
印象にあったころ。
その映画の内容を
走馬灯のように思い起こさせる曲。
最後のキャストが流れるタイミングで
使われていたかな。
その時代の詳細は忘れてしまったが、
わたしは この曲を
近々ある
コンサートで演奏する予定にしていて
集中して弾いていたのだ。
その頃から
わたしは日常的にパンを焼いていた。
仕事に自分のすべてを注ぎ
立派に生きた父は、
リタイアして
ゴルフクラブを鍬にかえ、
上質な車に
種やら、ジョウロやら、
さまざまな畑道具を詰め込み、
河川敷の畑へ、
朝に夕に出かけるのが日課だった。
物静かな おだやかな性質。
人の隠れたところで
しずかに人のため、社会のために
行動していた姿が、
時折目に浮かぶ。
誇らないひとだった。
いつも本を読んでいた。
また
パソコン教室に通って習った操作で、
うまれたばかりの妹の娘の
送られてくる写真を
カレンダーに加工したりすることを
楽しみにしていた。
また、
母と
お風呂セットを車に詰め込み
富山県中の温泉を
ひとつ、またひとつ
巡ることを楽しみにしていた。
そんな父に時々電話をかけては
「お父さん、この曲、いい曲なの。
特にね、○分くらいのところは
美しくってたまらないのよ。
時間ある?
聴いてくれる?」
「ああ、いいよ」
こんな風にわたしと父は
ささやかなつながりを楽しんでいた。
その日も
受話器越しに聴いてもらっていた。
その日にわたしの心に去来した思いを
今でも忘れられない。
「今日のパンは最高によくできたな。
お父さんに送ってあげたいな。
まあ、いっか。
近々、他にもあげたいものと合わせて
送ろう。」
翌日の夜
急に父は天へ還ってしまった。
あの日と
その周辺の日々の悲しみの種類を
他で見いだすことはできない。
今日も私は
ショパンのノクターン13番を弾く。
あれから13年経った。
その13年は私を
かえて かえて かえてきた。
きっと
父は
すべてを知っているだろう。
たくさん流した涙のことも。
苦しんだ日々も。
また
美しさに涙して
弾き続けてきた日々も。
また
そのピアノから
完全に離れたときのことも。
父は
天から祈りとともに
見ていたことだろう。
いろんなことを体験してきたけれど、
やっぱり
あの悲しみの種類を
他で見いだすことはできない。
ただ、
わたしの在り方はかわった。
どんな悲しみに見舞われても、
どんな苦しみに見舞われても、
みずからの深みに響きが寄り添い、
その「響き」は、
わたしの中を
平安と慰めと
そしてよろこびを満たしながら
運び続けてくれる、
と当たり前のように感じている。
これは
わたしにとっての
ぶれない確信。
なくならない真実。
だから
わたしは生きていける。
だからわたしは
希望を持ち続けて
今日も生きれる。
母は母で
今日を過ごすだろう。
晩年
しずかなよろこびに満たされ
ゆったり過ごした父の椅子に
母は座り
祈りの中、過ごすのだろうか。
また、その時とかわらない日常。
刺繍をさすのだろうか。
ひとは美しい。
どんなことがあっても
美しい。
「レッスン」という
日常があたえられていて
わたしはいつも思う。
幼い子たち
少女、少年たち
中学生、大学生、
社会人、
家庭の方。
みんなみんな
それぞれの位置に響く音楽。
どのひとにも
いまの時を越えて
いついつまでも響き続ける
やさしさ。
力。
勇気。
みんなみんな美しい、と。
午前中は遠くから
電車とバスを乗り継いで
生徒さんがいらっしゃる。
そのあと
夕方の生徒さんを迎えるまでの間、
パンを焼こう。
あの日
父に送りたかったパンを。
発酵の傍ら
ゆったりと弾き続けよう。
お父さん、
あなたを想います。
あなたのいる天に、わたしのいる地に
やさしい響きが満ちますように。