みな
それぞれの生活の場がある。
その場で
精一杯に力を尽くしておられる。
また、
今に至るまでの歴史も
様々であり、
その歴史が、
今置かれている場での召命が
そのひとの音となり
空間を震わせ
響きをうみだしていく。
20時。
外は静まり
秋へ向かう
少し冷たい雨が昼間から続いて
街はじっとりしている。
おたがいに
ひとりはピアノを…
亡き王女のパバーヌや
プーランクの即興曲などを弾く。
ひとりは
トロンボーンを…
ベートーベンのソナタを私のピアノと
アンサンブルをする。
しかし、
昨晩は
コーリンユー。
映画バグダッドカフェの曲。
ラスベガスの離れの
荒涼とした砂漠のような地が
その映画の舞台だ。
その黄昏の響きを
ピアノと鍵盤ハーモニカ、
ヴォーカルで生み出す。
合わせては語り
語りあっては合わせる。
合わせては
語り、
おのおのが
状況や場面が異なった背景であっても
感じてきた質の一致に、
ちいさな驚きを覚え、
その追体験のなかに浸り
共感しあう。
クラシックも
ポピュラーも
ジャズも、演歌も
何もかにもの垣根がない。
ただ
音のなかに漂い
共鳴は共感を高めていく。
クリスマスコンサートで
おのおのは持ち曲をするが、
その後のポットラックパーティー
(おのおのが分かち合いたい食べ物を持ち寄る)の和やかな中で
ふたりはこの曲をしたい、という。
ショップの経営者で多忙を極める日々。
帰宅し、すべてを終えたあと
ピアノに深夜向き合うエリさん。
正直で純粋。
加えて
様々な方々との響きあってこられた中で
生み出されてきた芯の強さ…
お姉さん気質が、
ジャズの薫りを
弾くピアノに
存在の雰囲気に醸し出す。
エルサルバドルで過ごし、
学生時代から音楽なしはあり得ない、と
9月16日のブログ
(素敵な演奏、カッチーニ アヴェ・マリア
クリスマスメドレー)で紹介した
しいちゃんの、
泣くような旋律の
鍵盤ハーモニカ。
音の世界は不思議だ。
音はことばを持たない故に
説明じみたり
人を説き伏せることはない。
聴く人が聴くままに
感じとるままに
その人のなかで沁み、
なにかしら変化をもたらしていく。
気づくと時計の針は21:20を
指していた。
ああ〜もっと語りたい。
あぁ〜もっとこのなかにいたい。
みながため息とともに呟いた。
ところで
シューマンのソナタを弾く
この写真の20代の女性は
自ら会社を立ち上げた経営者であり、
時間を見出しては
ピアノに向き合う。
弾きたくて弾きたくて
しずかに黙々と楽器に向き合う。
その音だけに向き合う姿は
美しい。
音の世界だけを見、
そして受け取り紡ぎだしていく。
いつからなのだろう。
私のまわりには
響きあう存在が集まるようになった。
先生 生徒 父兄
立場を超えて
存在と存在が響きあう。
この「教室」という場が
必要な誰かが
必要を与えられていく
そんな空間でありたい、
と願い
どれだけの歳月が流れただろう。
自然すぎるほど
そう思うようになっている今は
神が
その願いを叶えてくださった時なのだろうか。
「願いを起こさせ
実現に至らしめるのは神である。」
〜新約聖書より
であれば
私の力で実現したのではないのだ。
だから
よろこび楽しみながら、
感謝を
いつも天に還していこうと思う。
そう思った時
身が軽くなり
その喜びを保とうとする
肉の力が スッと抜け、
やさしい微笑みが私を満たした。
今日のさいたまは雨の1日になりそうだ。
雨であっても
きっと美しい日になるだろう。
なぜなら
こころなかには
響きが 旋律が
その源である かわらない愛が
いつも湧き続け
私を満たし続けているからだ。
そのなかで
必要を感じる方に
祈りが流れますように密やかに願い
今日も日課を淡々とはじめる。
すべてのひとが
やさしさに包まれますように。
こころからの感謝を込めて
まえだやえこ
☆スペシャルサンクス
母の家の一角写真。