蓼科2日目
標高1500〜1700mをなだらかに走り続けるビーナスラインは大好きなコース。
ホテルマンは
「きっと ビーナスラインは雲の上です。
残念ながら下の町々はきっと見えませんねえ。最近はずっとこのお天気なんですよね。」
見てほしい風景を前に見せてあげることの出来ない残念さと、
私たちが楽しめること願うやさしさが伝わった。
「そうですか。 まあ、行ってみますよ。」
と主人は答えた。
数分で霧の中に入った。
前方を注意しながら運転する主人の横で
私は霧を楽しんでいた。
シンプルな暮らし。
もの、も
こと、も
ひと、も
握らなくなってきて
楽になってきた。
とくに
プライドや 人からの評価や目
を手放すことが出来るようになってきたことは
わたしを驚くほど自由にさせた。
ひとは
誰でも 頑張ってきた歴史や
それゆえにあたえられてきた結果を
誇りに思い、
大切にし、
時々、取り出してはよろこびたいものだ。
その思いが、もしかして
まだどこかにあるようにも
感じる自分をも微笑みながら、
身を軽く、
楽に生きるために
手放していきたいな、と思った。
主人は
ブリキのおもちゃにありそうな
赤い車を楽しんでいる。
大切にされているものは
「もの」であっても
よろこんでいるように見えるから
不思議だ。
もの、を少なくして
感じはじめたこと。
それは、
つくられたものであっても、
慈しみの中におかれると
ひと、や 空間などと
響きあってくる、ということ。
いま
すべてと響きあいたい、
と思う願いで過ごすようになってきたことは、
揺るがない平安とよろこびを
私に与え続けてくれる。
その中にいても
生きていれば色んな自分を発見する。
しかし、
どんな感情が出てきても、
おだやかでいられるようになってきた。
その感情を
ないものにするのではなく、
「そっか。そんな私もいたんだね。」
と、その感情に居場所をあげれるようになってきたからだ。
次第に
自分の内面は
響きあう、
居心地の良い場所となってきた。
どうか
もの、や、ひと、みんな
平安であってほしいな。
それぞれが
それぞれで
自らを慈しんで
響きあってほしいな。
霧のなかのドライブ
水墨画のような世界
幻影の世界
フランスのドビュッシーの響きが、
ロシアのスクリャービン
ラフマニノフの響きが、
みえ
聴こえるように感じていた。
山奥にぽつりと、
しかし根強いファン層を感じるお蕎麦やさんで10割蕎麦のおひるごはんを頂いた。
平飼いたまごや
とれたて野菜、
蕎麦の粒が素朴に丁寧に売られていて、
その横では
女将さんがリズムよく蕎麦を伸ばし
切っておられた。
揚げたての天ぷらは
鮮やかで
サクサク軽快な音とともに
畑のめぐみが口いっぱいに広がった。
諏訪湖は
ひろやかに おだやかに、
空と街と
生活の音と調和していた。
滞在場所には
温泉がある。
大きな温泉の湯船に浸りながら
目を閉じた。
部屋の窓からは
夕方の雨に濡れた木が
瑞々しく見える。
夕食を楽しむために
ゆっくりヨガをして過ごした。
2日目も素晴らしい夕食だった。
前菜の盛り合わせのどれもが
丁寧な仕事。
マグロはスモークされ、秋の夜を楽しむしっとりした気持ちになった。
7種のきのこのパイ包みスープは、
それぞれのきのこの旨味が野菜とベーコンで引き出され、パイの中に封じ込められて、パイを破った時の香りといったら、
もう素晴らしかった。
野性味溢れる
仔羊のロースト。
デザートはカリカリに焼き上げたシューの中に、栗のクリームが。また上には栗のアイスクリーム。下には、柿のコンポートがアングレーズソースに浸ってあった。
何と素晴らしい晩餐。
お部屋に待つプティ。
おうまさんのお肉を美味しく頂いた。
今日で終わる旅。
信州、八ヶ岳の地域を
きっと
埼玉で近くかんじるようになるだろうな。
信州の地によろこび満ちますように。
訪れる方々に、迎える方々に
よろこび響きあいますように。
さいたま市 浦和区 緑区ピアノ教室
まえだやえこ