8月11日(土)
富山県富山市アンサンブルホールにて
「スペシャルガラコンサート」
〜岡野宏映先生門下生による
に出演しました。
今の私の土台を作ってくださった岡野宏映先生
コンサートの最終に
宏映先生は、
門下生の
藤井亜里沙さんと
(現在、桐朋学園大学子供のための音楽教室講師)
2台ピアノで
ラフマニノフを演奏されました。
ピンポケになってしまいましたが、
雰囲気をお伝えしたくて。
迫力ある響き。
現役の演奏者の凄み。
宏映先生は
本当に素晴らしい演奏者。
私は今、思うのです。
先生の演奏レベルがそのまま
生徒に流れるのだ。と。
先生の演奏の質と心意気がないところに
本物を目指す生徒は
育たないのではないか。と。
演奏は
体現です。
宏映先生には
高1からお世話になりました。
実は、
それまでの私は適当なピアノだったのです。
好きな曲を好きに弾いていて
酔いしれていた者でした。
基礎が全然できていなかった。
そして、
真摯な演奏の向き合い方が
全然わかっていなかった。
宏映先生は
私の演奏を
基礎から叩きなおされました。
正直、
きつくてきつくて、
楽しくはなかったでした。
しかし、
今思えば
その時代が絶対的に必要でした。
空回りばかりの高校時代。
しかし
宏映先生は捨てなかった。
当時の宏映先生は
31歳です。
厳しく厳しく
レッスンし続けること。
きっと
受験のレベルまで
引き上げることを
いつも見ておられたことでしょう。
変な癖をなおすのは
本当に苦痛でした。
先生は
もっと きつかったと思います。
教え続け、
直し続け、
課題を出し続けることは
本当に大変だっだと思います。
私は
やるしかないので
焦り焦り
毎日が過ぎていく。
ある意味では
先が見えなくなる日々だった。
見えない者を
離さず導き続けることは
本当に忍耐が必要だったと思うんです。
先生のおかげで、
また、
前回ご紹介した
松本清先生 明子先生のおかげで
私は今があります。
大学時代も
卒業してからも
宏映先生は
「やえこ!」
と声をかけ続けてくださいました。
帰るごとに
食事に連れて行ってくださいました。
演奏の機会も沢山作ってくださいました。
以降、
先生は
私のピアノは
私のピアノとして
尊重してくださっています。
今なお
還暦を迎えられても
力強く演奏なさる姿。
今回
度肝を抜かれました。
先生は
いたってサラッとされている。
姿は可愛らしいまま。
白いドレスに
還暦の象徴の赤を
靴に添えられました。
先生は
本当に昔から可愛かったです。
可愛いいのに怖かった先生。
それは
生徒の将来に責任を持つ
覚悟の姿だったのですね。
門下生は
桐朋学園大の大学院卒や
留学組もいて
皆
今なお現役で弾き続ける
演奏者でした。
あのコンサートから
3週間が経ちます。
それまでも
私は
ピアノを弾くことは
日常のよろこびでした。
その後から
さらに加えて
覚悟が決まりました。
生涯弾き続けていく、と。
宏映先生のように。
宏映先生。
還暦
おめでとうございます。
先生に励まされ
私も
自分の演奏を
歩み続けます。
先生、
また演奏を
聴かせてください。
いつまでも
可愛いらしく
お元気でいてください。
感謝を込めて
さいたま市緑区 浦和区 ピアノ教室
まえだやえこ