みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
富山の恩師、還暦を祝うガラコンサートに出演の為に富山に帰った旅。
その2回目の日記。
2回目からは
今回久々に再会が叶った恩師達と、
友とのことを記していきます。
1回目。
どなたから書いたらよいか、迷います。
皆、大切な方々ですから。
私の出会った時の小さい順で
記して参ります。
高宮順子先生(保育園の先生 )
私が保育園の頃から
ずっとずっと、
「弥生子ちゃんが、大好きだよ
かわいい。かわいいい。」
と言ってくれていました。
今回久方ぶりにコンサートに
お誘いしましたら
すぐにお電話をくれました。
受話器の向こうで泣いている。
「うれしい。うれしい。
やえこちゃんに あえる。
やえこちゃん。連絡してくれて
本当にありがとう。
必ず行きます。」
目が空のように澄んで、
泣きむしさんで、やさしくて、
いつもその人その人の良いところが
見える方。
ちいさなころ、
わたしは手が小さくて
ちいさな手に
しょんぼりしていたそうです。
また、
ピアノの練習がつらそうにしていた時のこと。ピアノをやめたいなあ、とションボリ
順子先生に言ったそうです。
そう言ったことは忘れていますが、
その時の順子先生の眼差しと言葉は
不思議に覚えています。
わたしのモミジの手を
ご自分の手ではさんで、
やさしく やさしく 手の甲をなでて、
「やえこちゃん、お手手おおきくなるよ。
だいじょうぶだよ。だいじなお手手。
ありがとう。」
と。
大学卒業の翌日
富山県新人演奏会で演奏。
聴きに来てくださった順子先生が
ホールの建物内の喫茶室で
労いながら
サンドウィッチとレモネードを
ご馳走くださり、
懐かしく お話を楽しんでいました。
演奏会運営のスタッフが
北日本新聞奨励賞、県知事賞の受賞が
決まった私を探し回っておられました。
喫茶店で運営側が私を見つけた時、
安堵の声を上げられていました。
私は自分が受賞すると考えてもいなかった。
でも、お陰で順子先生と私は
忘れられない思い出になりました。
今回も2回、お電話を頂いた時も
笑って話されました。
今回、演奏前にお会いしました。
会った瞬間から泣いておられました。
私も泣いてしまいました。
どうしてでしょう。
私は順子先生に愛されていることが
本当にわかるのです。
モンテッソリー教育の保育園で
こども達の背の高さに身をかがめ、
きっと、どの子をも愛して
歳を重ねられた。
可愛らしい笑顔は
変わらない。
屈みながら過ごされたお背中は
柔らかく丸みを帯びられて
小さく感じました。
何を話すでもなく、
ともに座り
手を握りあって時を過ごしました。
何度もおっしゃっいました。
「やえこちゃん、しあわせなのね。
姿からわかるよ。
よかった。よかった。」
演奏後も、泣きながら
「やえこちゃん、素晴らしかった。
うれしかった。
ありがとう、ありがとう。」
「また富山おいで。
うちにとまったらいいよ、
子供みたいなものだから。」
お手紙をくださって、
翌朝ホテルで開けてびっくり。
大きな志が入っていました。
再び朝から私は泣きました。
わたしは
こんなに 人を愛せているだろうか。
神さま。
どうか、わたしに愛を注いでください。
私も愛せる者になりたいです。
でも、
努力ではなく、
内面から溢れ注げるものになりたいのです。
私はピアノから
無条件の愛を受け続けています。
弾くことは
愛をうけとること。
きっときっと、
ピアノから流されてきている愛を
今回順子先生からも
注がれたのですね。
心からの感謝。
先生のためにも
私は毎日ピアノに向き合っていくことを
宣言します。
先生に響きあえると信じて。
お読みくださりありがとうございました。
お元気でお過ごしください。
さいたま市緑区 浦和区 ピアノ教室
まえだやえこ